2024年度 CCBTアーティスト・フェローである市原えつこは「ディストピア」を予知し思い描く行為の逆説的な前向きさに着目し、市民とともに虚実が入り混じる未来像を構築するプロジェクト「ディストピア・ランド」を展開しています。ここでは、市原が制作におけるリサーチの一環として行った、文化人類学者・福島真人氏、アーティスト・原田裕規氏、再生医療研究者・三嶋雄太氏へのインタビューの様子をシリーズで公開します。
シリーズ初回となる本インタビューでは、科学技術社会学(STS)を専門とする福島氏に「宗教・信仰・儀式」について伺いました。
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東京大学大学院・情報学環名誉教授の福島真人さんは、東南アジアの政治や宗教に関する人類学的調査を行った後、現在は科学技術が私たちの社会に与える文化的・社会的影響を研究する学問領域「科学技術社会学(STS)」を専門としている研究者です。また、芸術・アートへの造詣も深く、現代アートや映画に関する論文も多く執筆し、科学・社会・芸術を横断する最新著書『「実験」とは何か』もまもなく刊行予定です。
急速に進化する生成AIをはじめとしたテクノロジーが孕むネガティブな側面も危惧されている中、善悪両義性を持つテクノロジーが発展してきた背景にある社会情勢や人間心理、さらに現在構想中の「ディストピア・ランド」における重要なテーマとなる宗教・信仰・儀式が生まれるプロセスやこれらが駆動するメカニズムなどについて、福島さんに伺いました。
1. 技術発展のカギは「期待」
市原:官公庁から民間企業まで、基本的に未来への提案というのは、さまざまな技術によって課題が解決された明るい世界として提示される傾向があると思います。実際に科学技術の進展は大きいものの、それだけですべてを網羅的に解決できるような状態にはなっていないと感じており、今回の「ディストピア・ランド」は、悪化しているかもしれない未来に対する予防接種的なインスタレーションをイメージしています。とはいえ、そんなに暗くなりすぎずに酷いことが起こっている未来というものを考えるにあたって、福島先生のご経験や研究分野について色々伺ってみたいと思った次第です。まずは、福島先生の最新の講演でも紹介されていた「期待」そして「ハイプサイクル」の概念についてお聞かせいただけますか?
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福島:「期待」というのは、テクノロジーの開発初期に、その不確実な未来を推進するための重要な原動力の一つとして、特にオランダを中心としたSTS研究者が重視している概念です。オランダではSTSの教育を受けた人たちが技術官僚にもなったりして、いかに初期技術を社会に広めやすい政策をつくるか、といった現実的な面にも関心が強い。そこで言われ始めたのが、技術が社会に受け入れられる初期段階ではここでいう「期待」が重要になるということ。将来どうなるかわからない開発中の技術に対して政策関係者からの同意を得て、人々の関心やお金を集めるためには、「期待」を膨らませる必要があるというわけです。
これに関連して、「ハイプ(熱狂)サイクル」という概念もありますが、そうした期待の在り方も含めて、初期技術に対する熱狂が、急激に上がったり、また下がったり、で最終的に落ち着いてくるという過程を3段階として図式化したもので、ガートナーという会社がつくり出したモデルです。STSの研究者たちは、この図式は間違いではないが、それほど単純ではない、と指摘する研究者も少なくないですが。
市原:一般市民の体感としては、おおよそこうした流れにはなっている感覚はあります。
福島:そうですね。ハイプサイクルという現象があることは認めつつ、こんなきれいな図で示すことができ、いまは「流行期だ」「幻滅期だ」と常に同じパターンにはならないだろうと。
市原:とりあえず期待を膨らませられるだけ膨らませようと。
福島:ただ、それが加熱すると現実の開発のギャップが大きくなってしまい、バブルが崩壊するリスクが高まる。だから、期待をいかに上手く制御し、安定的に維持していくのかということがポイントで、近年そうした議論が盛んになっています。
市原:期待の加熱というのは、新しい波に乗り遅れたくないという人間心理によって生まれるのですか?
福島:ひとつの理由はそれですよね。iPS細胞なども一時加熱し過ぎたところがあり、iPSの研究者は「あまり世間に注目しないでほしい」と話していました。「もし何か実験に失敗すると、iPS全体がダメだということになりかねない。だから静かに研究させてほしい」と。
市原:AIに関しては人々の関心が長く続き、期待もほどほどに保たれてきたものがここに来て爆発した印象があります。
福島:そうですね。ハイプというのは最初は何もわからないからみんな興奮しますが、次第にネガティブな要素も出てきて疑念が生じるわけです。こうした様々な負の側面は、バブルが崩壊する一つの要因にもなります。今だと生成AIが大騒ぎされていますが、倫理や著作権の話など色々な疑念も出てきていますよね。熱狂があまりにも凄いので、どれだけ熱狂を冷却できるかは分かりませんが、テクノロジーがある段階まで発展し、大きな問題が出てくるようになると、それが全体の足を引っ張ることにもなるのです。
2.テクノロジーは明るい未来を夢見る
市原:新しいテクノロジーは基本的に楽観とともに生まれてくるもので、悲観から始まるテクノロジーというものはないのでしょうか?
福島:それは珍しいかもしれません。例えば、兵器のように人々を攻撃するテクノロジーをつくる場合でも、それによって敵を打倒したり、自分たちが世界を制覇するという希望を持っているわけですよね。やはり「期待」という概念は希望的観測と仲が良いんですよね。テクノロジーを開発する初期段階でディストピアが出てくることは滅多にないのではないでしょうか。むしろ、非常に明るい未来、ユートピアのイメージを描くことがテクノロジー開発に与える影響といったものもあります。例えば、原子力技術の開発初期に、各国でどんな未来のイメージがあったのかという調査とか。原子力のイメージでも、初期は明るいですよね。他の国ではそれぞれどんなイメージやディスコースがあり、それらは政策にどのように反映されていったのか。ユートピアまではいかないけれど、いわば明るい未来像の研究です。
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市原:今回の制作にあたり、私の出身地でもある広島の調査などもしているのですが、あの辺りでは子どもの頃から原爆のことを教えられるので、テクノロジーに対して心から前向きにはなれないところがある。テクノロジーには善悪の両義性があることを示す反応だと思っています。
福島:オッペンハイマーにせよ、アインシュタインにせよ、最初から原子爆弾が一般人に使われることを想定していたわけではなく、ナチスに先んじて開発することが重要だったわけですよね。その後原爆が広島・長崎に落とされて、そこで初めてとんでもないことをしたと気づくわけです。あらゆるテクノロジーは期待をベースにつくられますし、それをつくることで何が起こるかをすべて事前に理解しているわけではない。わかっていたら新しい技術の開発なんてできないと思うんですよね。新しいテクノロジーによって世界が良くなるというのは、ある種の宗教概念に近いものなのかもしれないですね。
市原:誰も悪意を持って開発しているわけではないし、それが自国の利益を前提にしていたとしても、基本的には世界を良くするという思想があると。
福島:テクノロジーの開発は世界を良くすることと、お金を儲けること、つまり経済を成長させることがセットになっていると思います。
市原:最近改めて広島の原爆資料館に行ったのですが、原爆が投下されるまでの意思決定プロセスを見て、思った以上に「合理的」な判断がされているという点において、現代社会のグロテスクさに気付いたという出来事がありました。国民感情を鑑みると莫大な開発コストを回収しなければマズイということだったり、企業の論理に近い判断がなされているところがあったのだなと。合理的には最適であるが、倫理的には最悪という判断を人は結構下してしまうのだと感じました。その意味では、ディストピアというのはあらかじめ想定されているものではなく、最悪の事態が起きた後に考え始められるものなのかもしれないですね。
福島:そうですね。STSなどのテクノロジー研究では、ユートピア的な世界を中立的な視点から批判するようなことはありますが、ディストピアに対して積極的にアプローチする感じではないんですよね。やはりそうしたものは、SFや文学などの世界で顕著に現れるものなのかもしれません。
市原:民間企業などテクノロジー開発の現場においてもディストピア的なイメージが出てくることはあまりなさそうですね。
福島:そう考えると、いまの生成AIほどその初期段階で、ディストピア的な世界がイメージされるテクノロジーはこれまであまりなかったものという気もします。このままAI開発が進むとかなり危険だという議論が研究者の間でも起こっていて、先日もアメリカを中心とした著名なAI研究者らが、AI開発の安全性をより考慮するべきだという共同声明に署名していましたね。例えば、バイオテクノロジーの分野では、遺伝子操作をしたデザイナーベイビー的なものに対して、かなり早い段階からリスクが指摘され、規制が行われました。その背景には、ナチスのそれに代表される優生学への批判があるからです。生成AIに関しては、そこまではいかないものの、インターネットの闇の部分からの外挿で、生成AIもその上に乗っかってくるであろうと考えているからでしょうか。そういう意味では、やはり過去の闇から学習するしかないということなのだと思います。
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3.宗教的シンボルはいかにつくられるか?
市原:今回の展示では、謎の古代文明のようなものを表象し、自然と人工物、古代と未来などを対比して見せるような空間構成を考えています。ディストピアが展開される以前にどんな文明があり、それがいかに進化してこのような事態になってしまったのかということをパラレルワールドのように示すことが目的です。例えば、自然信仰が捻れた謎の教団のようなものを中心に据え、手前の方では未来の人間社会のディストピアが展開されているといった対比をつくろうかなと。
福島:古代文明や伝統社会の生活の中には呪術的な行為が入っていますが、これらも近代テクノロジーと同様に文化的技術の一種ですよね。ブラックマジック/ホワイトマジックなどと言ったりしますが、同じ儀礼的行為によって、病気を治したりも、人を呪い殺したりもするわけで、これはテクノロジーの善悪両義性にも通じるものだと思うんですよね。
市原:使い方の問題ということですね。
福島:そうです。呪術は、科学に基づいたテクノロジーではないけれど、伝統的・文化的なルールや信仰のもとで使われている技術です。ブラックマジックによって病気になったということを確証する手段はありませんが、重要なのは、呪術が使われたらしいという噂だったりする。「呪われているのではないか?」という噂が流れ、みんながそう思えばそれは共通の理解になるし、その途端本当に調子が悪くなったりする(笑)。逆に自分が病気になった時の言い訳や理由付けとして使われることも多い。要は実体化することが大切なのではなく、精神世界の中で十分に機能するシステムになっていることが重要なんです。
市原:呪術に実体があるかは誰もわからないけど、人々の間で認識が積み重なっていくことで生まれてくるものがあると。そこに関連する話かもしれませんが、神話や宗教が生まれるプロセスのようなものも気になっています。
福島:その辺りは象徴人類学における大きなテーマですが、象徴システムの進化・変化というのは非常に研究が難しい分野です。人類学者がそれを研究しようとすると、すでに象徴システムが機能している社会が対象になるわけですが、そうした社会においてはシンボルの生成過程そのものは見えにくい。逆に、象徴が機能しなくなっていくプロセスの研究というものがあって、有名な例としては、この世が終わると予言されていたのに実際には終わらなかった時にどうなるのかというものです。
市原:それはとても興味深いです。
福島:この場合、予言の方を変えていくしかないんですよね。「今日はこうした理由で終わらなかったけど来週には終わる」と(笑)。でも、現実には来週にも終わらず、だんだんシンボルが解体していくプロセスを辿るという研究があります。ちなみに、今回つくろうとしている教団は市原さんが教祖になるわけですか?
市原:我々の教祖はヤギです。
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福島:仏教学者のゴンブリッチは、宗教には全く異なる2つの意味があることを提唱しています。ひとつは「communal religion」、つまり共同体の宗教です。これは、村落などで共有されている信仰で、コミュニティの中に浸透し、みんなが当たり前のように儀礼をしているような状態です。もうひとつは「soteriology」、日本語に訳すと救済論です。キリスト教や仏教のように特定の教祖のもとで教団がつくられ、広まっていくタイプの宗教で、今回市原さんがつくろうとしているものもこちらに当たると思います。そこで重要になるのは、信者のニーズです。色々な困難から救済される経験によって、人は信仰に目覚めていくわけです。
市原:ディストピアなので救済することは色々ありそうです。
福島:そこがひとつのポイントだと思います。2つの宗教はもともと概念的には別のものですが、歴史的には徐々に重なってきたところがあるんです。キリスト教の教会も初期は少数の先鋭的な信者が集まっていましたが、社会全体がキリスト教化されていくと、儀礼が日常のサイクルの中に入ってきますよね。日本人が神社にお参りに行って、死ぬ時は仏教で葬式をするというのもまさに同様で、そこに教義というのはあまり関係がないんですよね。
市原:生活様式のようなものになっていますよね。
福島:そうです。生活が安定すればするほど、「soteriology」におけるシンボルは、十字架を見て熱狂するといった存在ではなくなり、日常の安定を示すものになる。同じシンボルでも意味が変わってくるんです。
4.儀礼は「意味」を排除する
市原:初期の宗教には強烈なシンボルが必要になりそうですね。
福島:どれだけ自分の悩みを解決してくれるのかということが大切で、信者がそうした経験を積めば積むほど、象徴の力は強くなるんですよね。一方、「communal」な宗教はどうやってシンボルが生成されたのかがよくわからないんですよね。色んな儀礼もあるけれど、それらがどのように発生してきたのかは不明です。儀礼の要素の中には変なものがたくさんありますが、長い間繰り返される中で少しずつ要素が加わり、現在の複雑で意味が分かりにくい形式になっている可能性があるんです。
市原:なぜそんな儀式の体系になっているのかということは、遡って分析するのが非常に難しそうですね。
福島:儀礼において重要なのは、「なぜ?」と問わせないことです。「orthodoxy(=正統性)」という言葉がありますが、人類学の研究者の中には、これに対して「orthopraxy」という側面を儀礼に関して強調する人もいます。前者は正しい教義の意味ですが、後者は正しい振る舞い、つまり儀礼の文脈では、手続きに沿ってちゃんと儀礼を執行するという意味です。手順をちゃんと踏んで行う、ということ自体が儀礼では重要で、その細部の「意味」は大きな問題ではないというのが儀礼における鉄則なんです。
市原:疑問の余地を挟ませないようにすることで信仰が成り立っていると。
福島:そういうことです。「私は神を信じる」と言葉で言わずとも、「正月になったら神社に行く」という行為を続けている限りは信仰が続いていることになるわけです。逆に、「なんで行くの?」「何の神様?」と問い出した時点ですでに信仰は終わっている(笑)。我々の社会においても儀礼システムは非常に重要で、その生成について私自身かつてだいぶ研究しましたが、なかなか難しいテーマです。NHKで「仮想儀礼」をテーマにしたドラマが放送されていて、しろうとが架空の宗教団体をつくる話だったのですが、まさにこれもその難しさを示しているように感じました。
市原:新規参入はなかなか大変そうですね(笑)。儀礼システムがつくられるまでには長い時間が必要なのかもしれません。
福島:そう思います。やっぱり意図的につくろうとすると、ちょうど人前婚か何かのように、合理的になってしまうんですよね。レヴィ=ストロースが「儀礼は反復そのものだ」と言っているように、できるだけ無意味な反復をたくさんすることによって、意味を排除していくプロセスが必要なのかもしれません。
市原:そうした儀礼を素朴に信じられる精神構造とは一体何だろう?とも思います。なぜ人は無意味な反復を一生懸命できるのでしょうか?
福島:ブルデューという社会学者は、我々の日常生活の中で本当に判断をしている場面はごく一部で、それ以外はルーティンに従っているだけだと言っています。つまり、私たちはすべてを意思決定しているわけではないと。たしかに朝起きてからのルーティンは大体決まっていて、それが崩れた時に初めて選択が迫られるわけで、日常のすべてにおいて意思決定をしていたらその最初だけで一日が終わってしまいます。そう考えると、我々の社会的行為の大半は儀礼的だとも言えるんです。儀礼こそが本質的、中心的なものであり、それ以外の行為はごく一部の例外であると。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言いましたが、パースは、最初にあるのは信念で、それが何かの形で崩れた時に初めて「思う」という行為をすると言いました。これがデューイらによって広まったプラグマティズムの基本的な考え方になっています。
市原:私たちがSNSを何となく見てしまうのもひとつの儀礼なのかもしれないですし、ゲーム開発会社がアクティブ率を高めるためにとにかく起動をルーティン化させようと工夫をしているのも、ある意味儀礼をつくろうとしていることに近いのかもしれないですね。今日は色々と勉強させていただきました。どうもありがとうございました。
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福島真人
東京大学名誉教授
専門は科学技術社会学(STS)。東南アジアの政治・宗教に関する民族誌的研究後、現代的制度(医療、原子力等)の認知、組織、学習の関係を研究する。現在は科学技術の現場と社会の諸要素との関係(政治、経済、アート等)を研究。
主要著書に、『暗黙知の解剖』(2001年、金子書房)、『ジャワの宗教と社会』(2002年、ひつじ書房)『学習の生態学』(2010年、東京大学出版会、2022年、ちくま学芸文庫)、『真理の工場』(2017年、東京大学出版会)、『予測がつくる社会』(共編、2019年、東京大学出版会)、『科学技術社会学(STS)ワードマップ』(共編、2021年、新曜社)。『「実験」とは何か』(近刊、東京大学出版会)、『価値の実験室』(執筆中、筑摩書房)。
アート系評論に、「病んだ体と政治の体-アピチャッポン・ウィーラセタクンの政治社会学 」(夏目+金子編、2016年、アートフィルム社)、「亡霊たちの実験室」(MAM Project 025 アピチャッポン ウィーラセタクン+久門剛史)、「Minoru Nomata: The allure of polychromatic topology」(2021年、COMPANION、WHITE CUBE)等。
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市原えつこ「ディストピア・ランド」
CCBTアーティスト・フェローである市原えつこが、「ディストピア」を予知し思い描く行為の逆説的な前向きさに着目し、展開する「ディストピア・ランド」。不確実な未来へのレジリエンスを得ることを目指す本プロジェクトでは、科学的リサーチや人類史を織り交ぜながら虚実の入り混じるパラレルワールドの日本像を具現化した展覧会を軸に、各分野の専門家を招いたレクチャーシリーズ、多様なワークショップを開催します。